THINK
市街化調整区域と志賀島 – その1 –
2016.02.29
これから志賀島で始まる空き家プロジェクト。
2015年国勢調査で神戸市を抜き、政令指定都市の規模(人口)で5番目に浮上した福岡市ですが、福岡市東区に位置する志賀島では年々人口減少が進んでいます。それに伴い志賀島では空き家が増加傾向にあります。
(*参考:平成27年人口速報集計(要計表による人口集計)結果(PDF) )
この傾向はここ数年の動きではなく、何十年も前からなのですが、近郊の人口が増えているし、島内の空き家は増えているのなら、それを活用して移住者を増やし人口減少に歯止めをかければいいのでは?と考えるのが最近の潮流です。しかし志賀島にはそれができない理由がいくつかありました。
そのハードルの1つが「市街化調整区域」です。
市街化調整区域とは平たく言うと日本がイケイケドンドンだった60〜70年代の高度成長期に都市(市街地)が無秩序に拡がるのを抑制することを目的に都市計画法を基に指定された区域です。
郊外へのスプロール※1の抑制や自然保護の観点から開発行為(新築や用途変更など)を極力抑え、さらに既存住宅は専用住宅(居住のみを使用目的)とされているので賃貸として転用することも原則禁止されていました。
※1上下水道や交通機関といった社会資本の非効率化や,都市中心部の空洞化などを招くとされる。
志賀島は全域が市街化調整区域に指定されている雁字搦めの地域だったんです。土地や建物など不動産の流通が極度に少ないため移住者や新規事業者の参入がなく、コミュニティの固定化・形骸化が起こり、また適正な競争原理が働かず、地域全体が萎んでいきました。
こうしてみると、なんでそんなややこしい法律が適用されているのかって話になるのですが、その理由は志賀島が今の福岡市東区ではなく志賀町だった時代は遡ります。
約45年前まで志賀島は糟屋郡志賀町という行政区分で島内には役場がありました。今でいうと志賀島エリアと西戸崎エリアが志賀町になり、志賀海神社参道沿いの役場跡にはそれを今に伝える石碑が建てられています。
1971年4月、志賀町は福岡市に編入されることになるのですが、福岡市に属する際に「島の豊かな自然を残したい」という当時の町長を始め住民の願いから全域を調整区域に指定したそうです。
市街化調整区域に指定されていたことで、悪いことばかりだと思われがちですが、逆を言うと開発されなかったからこそ、懐かしさを感じる漁村の町並みや自然が残っていると見ることもできます。
時は移ろい、当時とは違い斜陽進む志賀島ですが、空き家プロジェクトではこうした先代が残したかった自然や想いを大切にしながら島の歴史を前に進めていきたいと思います。
つづく
次回は志賀島で空き家プロジェクトが始まるきっかけとなった規制緩和について。市街化調整区域の何が。どう変わるのか。
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